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フリーソロ
2018
レビュー
エル・キャピタンという3,000フィートの垂直の花崗岩の壁を、ロープも安全装備も一切使わずに登る。それが「フリーソロ」だ。落ちたら死ぬ。失敗の余地はゼロ。このドキュメンタリー映画「フリーソロ」(2018年)は、クライマーのアレックス・ホノルドが2017年に挑んだその前人未到の挑戦を記録し、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した傑作だ。
監督はジミー・チン(クライマーでもある写真家)と、エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ夫妻。彼らが直面した倫理的なジレンマが、この映画に単なる登山記録を超えた複雑さをもたらしている。もしカメラが回っている前でアレックスが落ちたら? 記録することへの欲望は、人命のリスクと矛盾しないか? この問いを映画は正面から取り上げ、撮影チーム自身が葛藤する様子も包み隠さず映す。ドキュメンタリーとして誠実であろうとするその姿勢が、緊張に誠実さを加える。
アレックス・ホノルドという人間のキャラクターが、この作品の中心軸だ。彼はクライミング能力では天才的だが、感情面では独特の「フラットさ」を持つ人物として映し出される。冒頭近くに挿入される、彼が共感や恐怖を処理する脳の扁桃体の活動が通常より低いという脳科学的な説明は、彼の特異性を「障がい」としてではなく、クライマーとしての適性として描くための重要な文脈だ。彼のガールフレンド、サニー・マクカンドレスとの関係も映画に取り上げられており、彼が人間的な温かさを持ちながらも、クライミング最優先の生き方との折り合いを探す姿が静かに描かれる。
登攀シーンそのものの映像美は圧倒的だ。岩肌のテクスチャ、霞む谷、そして300メートルの高さから見下ろすヨセミテの風景——映像のスケールが、人間の身体がいかに小さいかを常に意識させる。それでいて、ホノルドの指がクラックに食い込む瞬間のクローズアップは、人間の意志の強靭さを逆説的に際立たせる。
ホノルドが実際に登攀を決行する最後の30分は、スポーツドキュメンタリーの歴史でも屈指の緊張感だ。観客はすでに彼を知り、彼のパートナーを知り、撮影チームの心情も知っている。その状態で展開される実際の登攀シーンは、呼吸を忘れるような体験だ。
こういう人に見てほしい。冒険・アウトドアが好きな人はもちろん、人間の限界と意志の関係に興味がある人、「なぜ人はリスクを冒すのか」という問いに向き合いたい人に。映像の美しさだけを目的に見ても十分な価値がある。
類似作品:「メル・フィッシャーの夢」「ドーン・ウォール」などの登山ドキュメンタリーと比較されるが、映像のスケールと人物描写の深さで「フリーソロ」は群を抜く。
フリーソロが他の登山ドキュメンタリーと一線を画すのは、アレックス・オノルドという人物そのものへの解像度の高さだ。彼の脳の扁桃体の反応についての神経科学的研究から、恋愛関係・幼少期の記憶・恐怖への態度まで、人物として丸ごと理解させようとする前半の密度が、後半のクライムを単なるアドベンチャーではなく「この人間の必然的な行為」として受け取らせる。また、撮影チーム自身が「もし事故が起きたら自分たちは何を撮っているのか」という倫理的な問いに向き合う場面も印象的だ。
自分の安全を脅かしてでも「やりたいこと」を追求するとはどういうことか——フリーソロはその問いへの視覚的な回答だ。
フリーソロが問うのは究極的に「自由とは何か」だ——他者に影響を与えずに自分だけのリスクを取る権利が人間にあるかという問い。
【外部評価】IMDb: 8.1/10 | Rotten Tomatoes: 97%
どこで見れる?(見放題)
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ドキュメンタリー衝撃的考えさせられるアドベンチャー名作



