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殺人行為
2012
殺人行為
The Act of Killing
2012年·映画·★ 7.6
あらすじ
1965年のインドネシア大虐殺で、数十万人の共産主義者とされる人々を殺害した元死刑執行人たちが、自らの行為を映画の中で「再演」するドキュメンタリー。
レビュー
『殺人行為(The Act of Killing)』は、ドキュメンタリー映画の倫理そのものを根底から揺さぶる衝撃作だ。2012年にジョシュア・オッペンハイマー監督が発表したこの作品は、1965年のインドネシア大虐殺——共産主義者とされた人々が推定50万〜100万人規模で殺された事件——の実行者たちに、自らの「偉業」を映画として再演させるという、前代未聞の手法を採った。
舞台はインドネシア北スマトラ州メダン。主人公のアンワル・コンゴは、当時の民兵組織(パンチャシラ青年団)のリーダーとして、数百人の「共産主義者」を直接殺害した人物だ。驚くべきことに、彼は2012年の時点でもなお地域の名士であり、テレビ番組にゲスト出演し、孫にとっては優しい祖父でもある。この「英雄としての加害者」という構図自体が、私たちの常識を裏切る。
オッペンハイマー監督の提案は、常識では考えられないものだった。「あなたたちが行った殺人を、お好きな映画のジャンルで再演してください」。アンワルと仲間たちは意気揚々と応じる。ギャング映画風に。ミュージカル風に。フィルム・ノワール風に。カメラの前でワイヤーを使った絞殺の「効率的な手順」を笑いながら実演し、撮影後にはその映像を家族と一緒にテレビで観て楽しむ。この不気味な軽さは、アレント的な「悪の凡庸さ」の概念を超えて、加害者の側から見た「正義の物語化」のメカニズムを生々しく暴き出す。
しかし、映画が真に異次元の領域に踏み込むのは後半だ。再演のなかで被害者役を演じることになったアンワルが、自分がかつて他者に与えた恐怖を体感する場面——ここで何かが崩れ始める。彼は撮影の合間にえずき、言葉を失い、そして最後には屋上で嘔吐する。あの有名なラストシーンは、加害者が良心に目覚めた瞬間なのか、それとも単に身体が反応しただけなのか、観る者に判断を委ねる。監督はナレーションで解釈を与えず、ただカメラを回し続ける。
この作品が並外れているのは、告発映画ではないという点にある。インドネシア政府の責任を追及するジャーナリスティックな映画なら他にもある。オッペンハイマーが撮ったのは、「自分がやったことをどう記憶し、どう語り、どう正当化し、そしてその語りがどこで綻ぶのか」という、加害者の内面のプロセスそのものだ。これは特定の国の問題を超えて、権力と暴力と記憶をめぐる普遍的な考察になっている。
制作には8年を要し、エグゼクティブ・プロデューサーにはヴェルナー・ヘルツォークとエロール・モリスという二人の巨匠が名を連ねた。2014年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされ、BAFTAでは受賞。世界の映画批評家からは21世紀のドキュメンタリーを代表する一作として広く認知されている。
日本では限定公開にとどまり、知名度は高くない。だが、加害と被害の境界、歴史の語り方、そして人間の記憶と良心の関係に関心がある人にとって、これ以上の入口はない。同監督の続編『沈黙の声(The Look of Silence)』(2014)は被害者の家族の視点から同じ事件を描いており、2本を合わせて見ることで、この歴史的悪夢の全体像が立体的に浮かび上がる。ドキュメンタリー映画が「現実の記録」を超えて「現実の構造そのもの」を暴く力を持つことを、この作品は圧倒的な強度で証明している。
視聴するならば、159分のディレクターズカット版を強く推奨する。劇場公開版(122分)では大幅にカットされたシーンが多く、加害者たちの日常と再演シーンの対比——この映画の核心部分——が薄められている。配信ではAmazon Prime VideoやiTunesでレンタル・購入が可能。重い題材だが、暴力描写そのものはむしろ抑制されており、実行者たちの「語り」と「再演」の異様さが恐怖の本体であることに気づくだろう。一人で静かに見て、見終えた後にしばらく何も話したくなくなる——そういう種類の映画だ。
【外部評価】IMDb: 8.2/10 | Rotten Tomatoes: 96%
どこで見れる?(見放題)
レンタル・購入
Amazon Prime Video
タグ
歴史的暴力記憶と証言アジア映画政治衝撃作



